地方創生の根本は何か?〜 都会の意識と田舎の感覚について、もう一度考えてみる(養老孟司先生 八重洲ブックセンター講演会 9/6)
東京の八重洲ブックセンターで、養老孟司先生の講演会がありました。(9月6日)
昨年の9月に「虫から人間社会を見る」という講演会に行ってから、ちょうど一年ぶりでした。
今回のお話もとても楽しかったのですが、
それをお伝えすべく、なんとか書いてみたいと思います。
地方創生の根本は何か?ー『地域人』の視点から〜というテーマ。
このまま、少子化、過疎化が進めば、日本は消滅するかもしれない…という問題。
キーワードは、『同じ』と『違い』
この分析が、なるほどと思うものでした。
まず、
「都会」に対して「田舎」があり、
これは、単純に場所だけのことではなく、暮らし方、考え方のことで、
都会は「同じ」であろうとし、田舎は「違い」が当たり前と捉える。
そして、『同じ』というのは意識が作るものなのだそうです。反対に『違い』は、感覚で受け取るもの。
『同じ』ものは、便利で画一化されていて、「意味」があり進歩していると思われているもの。
『同じ』ではないもの=『違い』は、プリミティブで意味もなく、見通しが立たず不便で面倒なもの。
例えば、自然。例えば、子供。
人間は、便利や意味を求めすぎて、意味のないものや不便なものを容認する感覚を失ってきている。
それがあまりに行き過ぎると、「役に立たない人間に生きている価値があるのか?」というような過激な考え方が出てくる。昨年のあの事件のような…それは現代の病と言える。
感覚をどれだけ開いているか?
感覚を、外にの世界に開いていくこと。
目や耳は外の世界と繋がる為にある。
自分のことばかりに閉じ籠もらない。
TVスマホは感覚から入って来るが、その内容は意味と直結するものであり、それらを「情報」と呼ぶ。
意味が無いものがあるのが当たり前で、
山に落ちてる石の意味などふつうは考えない。稲についたイナゴの意味だって求めなくてもいい。それはあるのが当たり前だから。
同じ、同じ、を追求し一纏めにしていくと、最後には一つになってしまう。
それは宗教の、一神教にもつながる。日本の古来の八百万の神は『違い』をみとめている。
有機農法には教科書がなく、みんな違うやり方をしている。何故なら、土地が違えば環境も違い土壌も違い、風向きや日当たりも違う。同じになるわけがない。
だから、有機農法については、農家一軒一軒それぞれ誰々さんの所ではこうやっている〜という説明しか出来ない。同じになるわけがない。
世の中は、一部の人たちではなくて
ふつうのたくさんの人たちがつくっている。
その日常に感覚を使うこと。
示唆に富んだ、ユーモアある爽やかなお話でしたが、自分の言葉で語り直すのは難しいですね。
当日は、書籍にサインもしていただきました。
今回はこの二冊を購入。
きっと、ご愛用されている万年筆で書いていただいた美しい文字。
今、四国の山奥でこの文章を書いています。
山々と木々に囲まれると、都会で意識しているものから、もっと深い根源的なところにスイッチが切変わるのを、先刻もリアルに感じました。眠っていた感覚が呼び醒まされる感じです。この時間が続けばさらに研ぎ澄まされるのでしょう。
それにはとても憧れます。
意識と感覚、現代の人間にはどちらも必要なのかもしれないけど、都会に慣れきるとたちまち感覚が衰えてしまう。
だから、意識的に、自然に触れること、自然の中に身を置くことが大切だなと思います。